消えてしまうその前に

 野点などとやらかしたあとに待っているのは後片付けだった。
 妖ノ宮は茶道具の整理を興之助はその他道具と分担し、日暮れ前には帰れるように黙々と片付けていた。
 ようやく最初と同じくらいに片付いた頃には遠くカラスの声が聞こえ、日暮れの赤が眼下を照らしていた。
「燃えてるみたい」
 ぼんやりと妖ノ宮は城下を見下ろす。その気になれば、それを現実にする力はある。その気になるとしたら、どんなときだろうか。
 妖ノ宮はしばし目を閉じる。
 なにか、とてつもなく怒り狂ってしまうようなことがあれば、そうすると思えた。
 しかし、何が原因となるのかは想像もつかなかった。
「姫様は、もし、都が燃やされたらどうする?」
「守るわよ」
 ここまで戦火がやってくるならば、それは国の終わりだ。人を守るのではなく、国の誇りを守ると言い換えても良い。興之助の問いは、そうではなく人を守るかどうかと問うものだったような気がする。人を守れるかというと全く自信はない。
 妖ノ宮はややずるい返答をしたと思いながら目を開けた。彼女と同じように都を見下ろしていた興之助はため息をついたようだった。
「怪我どころじゃすまないかもしれないよ?」
「そこに、たとえば鳩羽や伯父様がいたら出しゃばらず、言いつけに従いおとなしくしてるわ。でも、誰もいないのなら私がするしかないじゃない」
「姫様は、そんじょそこらの男よりも男前ですよ」
 惚れちゃいそう。続けて聞こえた軽口を妖ノ宮は聞こえないふりをした。この程度で動揺していることを気付かれるのは腹が立つ。こういうことを平気で言う男だとはわかったのだ。しかし、平気そうな顔がやや赤かったことは夕日のせいだけではなかった。
「次は、いつ呼んでくれるんです?」
「二週間後、というのはどう?」
 不自然な沈黙があった。
「姫様、その日はちょっと野暮用が」
 その日付に他意はなかった。嫌ならほかの日取りを選ぶだけだったが、妖ノ宮はじっと興之助を見上げた。
「なんで?」
「どうしても」
 顔をしかめて言うからには理由はあるのだろう。妖ノ宮は、ふぅん、とつぶやくと茶碗の入った木箱を手に取った。
「いい茶碗ね。ちょっとくらい壊れた方が野趣あふれていいと思わない?」
「なあ、姫?」
「なぁに?」
 引きつった顔の興之助に向かって、何かしらと笑う妖ノ宮。手の内でもてあそぶ木箱の中の茶碗は丈夫さが売りではあるが、落として欠けない保証はない。その上、それは借り物で安くとも同じものは手に入らない。
「それは脅迫っていうんだぞ」
「二週間後で良いわね?」
 危なげに手の内で扱われる木箱。
 興之助はこの世の終わりとでも言いたげな暗い顔で、了承した。
「わかったよ! どうなっても俺は知らないからな」

 相も変わらず、町に繰り出してきたが、妖ノ宮は全く楽しくなかった。
 隣の男は、どこか上の空でふと立ち止まっては同じ方向を気にする。気がかりな何かがあるのは確かだ。
「何を気にしているの?」
「ん。いや、なんでもない」
 はぐらかして笑うのだ。
 同じやりとりを三度繰り返して妖ノ宮は興之助の袖を思いっきり引っ張った。
「正直に言いなさい。何か用があるのでしょう?」
「あるっていっただろ。前に」
「それは、ごめんなさい。そんなに気にするような用なら、行っていいのよ?」
 気が散っている人と歩いても楽しくもない。代わりに誰かをという気にならないので一人歩きとなりそうだが、それも楽しげだ。
 妖ノ宮は袖をつかんでいた手を離した。
 代わりに興之助が、その手首をつかむ。
「もういいよ。用といえば用だし、行かなければいけない場所があるんだけど、行ってもなにもできないんだよ」
 無理矢理平静を取り繕ったような顔が、気に入らない。
 妖ノ宮はしかめっ面で手首をつかむ手をぱしぱしたたく。
「あー、ダメだな。くさくさする。
 そうだ。茶屋でぱーっと騒ごうぜ。ぱーっと」
 ため息がこぼれた。離さない手は一人にしないでくれとそういうことなのだろうか。
 いつもならば、外れるくらいにしか力も入れない手もそんな風ではない。
「行くべき場所があるなら、行きましょう」
「あんた、意味わかってていってんのか?」
「わかってるわよ。すごく、気にしているってことは。無理に平気な振りしないでちょうだい」
 しばし、彼は黙り込み手をつかんだまま歩き出した。
「見せてやるよ。一つの村が歴史から消える」
 それがどんな顔で言われたのか妖ノ宮は見ることができなかった。

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