消えてしまうその前に

 我ながら大胆だったと妖ノ宮は後悔していた。
 彼にとっていくべき場所は、山賊に襲われる村だった。未来を知るが故にそこが襲われることを知っていた。ただし、何もしない。
 未来を変えないために。
 それはひどく辛そうで、あきらめ切れない何かが、ここまで来させたのだろう。
 しかし、ならば、なぜ未来を知る能力があるというのだ。妖ノ宮は、ぎゅっと握られた手を軽くなでて、問う。
「してはいけないと誰が言ったの?」
 虚を突かれたように妖ノ宮を見下ろす興之助の手を振り払い丘を駆け下りたのは、賭に近かった。
 大胆すぎたとは思うが、これでこの村は当面の安全は図れるだろう。この治安の乱れは王の不在によるものが原因に近い。だから、これは我々の不始末の結果だ。
「雨でも呼べれば良かったのだけど」
 せいぜい火勢を弱めるくらいしかできそうもない。
 あるいは、敵の掃討。
「べっぴんさんじゃねぇか! 逃げ遅れたってぇツラじゃないな」
 妖ノ宮は山賊の群れに囲まれながら数度しかした覚えのない火遊びの記憶を思いだそうとしていた。多少、脅しつければ逃げていくだろうとは思っていたが、数が多いならそうもいかない。
「警告はしてあげるわ。このままお帰りなさい」
「へっ! 嬢ちゃん一人で何ができるって言うんだ」
 頭目と目をつけた男がそういえば、周りのものがどっと笑う。
「そう」
 仕方ない。妖ノ宮は少しだけ笑って、かすかに金色を帯びた瞳を細める。火勢が呼応するように勢いを強める。
「ええい、ここは俺に任せろ」
 後ろからの声に妖ノ宮は、ほっと息をついた。背後から抜き去る前に興之助のため息が聞こえたような気がした。
「あんたは下がってろ」
「気をつけてね」
 それきり彼は振り返らなかった。

「余計なことをしたかしら?」
 誘導を買って出た妖ノ宮は、遠くの興之助を見やる。思っていた以上に、活躍中だ。援護は必要なさそうだ。
 間違いだとは思っていない。そうしたそうに見えたから、背を押してあげたのだ。簡単に見殺しにはしないだろうという計算はあった。
 誘導しながらもこっそり村人と山賊の間の火勢を強めこちらによってこないようにする。すでに燃えているのだから、と思いながらも少しばかり後ろめたく思いながら。
「これで、だいたい逃げられたのかしら?」
 妖ノ宮は村の外れで村長に問う。
「はぁ、そのはずです」
 どことなく戸惑ったような返答は仕方のないことだろう。どこかからやってきた娘の言うことをどこまで信じてくれるのか妖ノ宮でもはかりかねた。
 よりにもよって、助けに来ました、とは自分でも笑える言葉だった。
「あのお侍さんは?」
「私の連れです。腕は確かなので、そろそろ戻ってくるでしょう」
 言葉に違わず、興之助は程なく戻ってきた。
 妖ノ宮を見ると眉間にしわ寄せ、口を開いたところで彼女は村長を押し出した。
「ありがとうございます。お侍様」
 興之助は言葉を飲み込んだように一瞬押し黙り、妖ノ宮をにらみつけた。どうやら、あとで怒られるようだ。妖ノ宮はそしらぬ顔で、村人の安否を確認している振りをする。
 若い男は怪我を多少しているが、子供などは元気そのもので妖ノ宮はほっとした。
 興之助を見ると赤ちゃんを連れた若い女が、なにか話しかけているのが見えた。とまどったような顔で、それでもどこかうれしそうに見える。
「……でも、変だわ」
 口の中で妖ノ宮はつぶやいた。戦略的に重要拠点でもない。ただの村だ。興之助がそれほど気にするなにか、といわれると故郷かと思ったのだが、どうも違うようだ。
 これから大物でも育つのかしら。それなら、おかしい話だ。
 そんなことを考え込んでいると前方からの災厄に気がつかなかった。
「あなたはなにを考えてるんです!」
 いきなりの怒声に思わず、身をすくめる。
 あたりを見回すと興之助の怒りを察したように人がいなくなっていた。遠巻きに見ているといった方が正しいかもしれない。
 つまり、助けはない。
「……だって、見ていろなどと言うから。勝算がなかったわけではないのよ?」
 見ていられなかったのは、興之助の辛そうな顔と、思い切りの悪さだが。妖ノ宮は反省してますと上目遣いで見る。
「でしょうね。わかってます。その気になれば、へでもないでしょうね」
 低く言う声は、知っている男の声とは違って聞こえた。
「怒ってる?」
「わかりませんか」
「心配させたのは謝るわ。ごめんなさい」
 凍えそうな冷えた声に思わず妖ノ宮は頭を下げた。生まれてこの方ここまで深く下げたことなどない角度で。
 もういいかなとちらっと上目遣いで見れば、あきれた顔が見えた。
「頭を上げてください。俺が悪役じゃないですか」
 妖ノ宮が頭を上げると乱れた髪を直すように頭をなでる。
「……もうしないでくだい。そういうのは俺に命じてくれればいいんです」
「うん」
「わかればいいんです」
 帰りますよ。姫様は待っててください。と興之助は続け、村長に別れの言葉を告げに行く。
 どうやら、お怒りは解けたらしい。
 戻ってきたときには着物が替わっていたが、汚れたものの換えをくれたらしい。
「いきますよ」
 興之助は何事もなかったように声をかけてくる。怒られていたときには気がつかなかったがなんとなく、違和感があった。
 先を歩く興之助はいつもと同じように見えた。見た目ではない、何か。
「興之助?」
「なんです?」
 常ならば、なんだ、とか、返ってきそうなものだ。それが、彼にしては丁寧だ。律儀に振り返ったのは彼の袖を握ったせいだ。
 幾分、いつもより生真面目そうに見える。
「怒るとそうなの?」
「はい?」
「口調」
 しまったと言いたげな表情が怪しい。妖ノ宮は代わりに別のことを口に乗せた。
「あと、ありがとう。それと」
「なんだよ」
 しっかり訂正された口調がおかしい。妖ノ宮は笑いをかみ殺しながら、一つだけ正直に言っておいた。
「かっこよかったわよ」
 言葉に詰まったように黙る興之助を見やり、妖ノ宮は袖を手放し、先に立って歩く。
「帰るわよ。伽藍に怒られちゃう」

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