晴れ過ぎた空の下で
妖ノ宮は虎視眈々と狙っていた。
銀朱に入れ知恵したり、豪徳屋に鈴をつけて裏切らないようにしたり、どこかの坊さんを味方につけたり、精力的に活動してきたのだ。
そろそろ、遊びに出ても良いはず。
さらさらと手紙を書いてうきうきと待つこと数日。
やってきた興之助を見ると妖ノ宮はにっこり笑って宣言する。
「町にいきたいの!」
彼は笑顔が怖かったんだと後に伽藍にぼやいたという。
「町からは離れていくわよ?」
小さめの風呂敷に買い込んだ箱入りの干菓子や饅頭、練り切りを包んで持たされている現状は不満がいっぱいだ。
姫さんはしばらくこれを食べてな、と渡された飴が終わりそうなことも不満顔の理由ではある。が。
「もうちょい」
なにより、手ぶらな男が目の前を軽快に歩いているのが気にいらない。
妖ノ宮はこれ見よがしなため息をついた。もともと歩くのに慣れているとは言い難い。屋敷での生活では長距離を歩くことはないし、そんな散歩に出られる状態でもない。森のど真ん中で迷子になるのが落ちだ。
「疲れたのか?」
ええ、もちろん。と答えるには妖ノ宮は、少しばかり素直ではなかった。
「心配無用」
つっけんどんにそう言い返すと振り返った興之助は人の悪い笑顔でこう言ってのけた。
「じゃあ、峠の上まで問題ないな」
「いけるわけないでしょ!」
反射的に怒鳴り返してから、しまったと思ってももう遅い。妖ノ宮は自分の顔が赤くなるのを自覚した。恥ずかしいよりは主に怒りで。
聞こえてくる愉快そうな笑い声が幻聴であったのならばと思う。
「からかったわね?」
「いえいえ、めっそうもない。おいしいお茶屋があるのはホント」
笑いながらの返答は、ひそやかに殺意を抱かせる。妖ノ宮の視線に険があるのを見て取ったのか興之助はくるりと背を向けた。
「おお、ここは中々いい風景だな」
ごまかすように言う。さらに妖ノ宮は睨んだが、それを気に留めるどころか一人座るとぽんぽんとここに座れと言いたげに隣をたたく。
あぶるくらいは許されるのではないだろうか。そんな思いを抱えながら妖ノ宮は隣に立った。
「……景色はいいわね」
えっちらおっちら登ってきたせいかお城やその下の町並みもよく見える。こうしてみると整理された部分とそうではない部分に境目があるかのようだ。想定以上に外へ外へと広がる街並みは国主により、姿を変えることだろう。
火の海になるのか、栄えるのか、それさえも定かではないもの。
父親の遺産ではあるもののそれ以上でもなく愛着もない。
「城下町一望だぜ。見える限りのものが、姫さんのものになるかも?」
何かをごそごそと取り出そうとしながら興之助は尋ねた。妖ノ宮はおもしろくなさそうに顔をしかめる。
「兄弟がぼんくらだったらそうなるわね」
「自分のものにしたくないわけ?」
さりげない問いに思わず言葉が漏れた。
「私は、私の安全がほしいの」
興之助はおもむろに隣に立つ妖ノ宮を見上げた。驚いたと言ったら彼女は怒るだろうか。手の打ち方が、天下を取るつもりに見えたからだ。
疑っているものは多く、しかし、確信させない手腕は見事だ。
興之助を見下ろす視線は、なにか、問題でも? と問うようで、思わず視線をそらした。善し悪しはわからないが、てごわいという感じは強くなってきている。
最初の忠告は、いまならもっともに思えただろう。
もう、遅いけれど。
苦笑いを隠して、興之助は仕掛けのはしっこを探すべく手を草むらに突っこんだ。堅い感触が手に突き当たる。
「お、そうだ」
「姫様は茶ってたてられるのか?」
「結構前に立ててあげたわよね?」
びっくりしたような顔から怪訝そうな顔に変わる前にたたみかけるように続ける。
「じゃ、問題ないか。姫様の茶をのみたくなってさ。外なんだし、野点やろうぜ、野点」
「……道具があれば」
あきれたような顔で妖ノ宮は了承した。
「道具ならここにあるぜ」
興之助は箱にかかった草を払う。
あきれ顔が笑いに変わり、最後にはつんと取り澄ました顔で妖ノ宮は言った。
「よくってよ」
気位の高いお姫様のように。
その後、茶釜を火にかけようとして、火がつかず手伝いをしようとした妖ノ宮が近くの草を燃やしてしまうこともあったが、それ以外は滞りなく設置が完了する。
妖ノ宮は流れるようにとはいかないまでも、慣れた手つきでお茶をたてる。
それはお城の奥で暮らしているようなお姫様然として、別人のようであった。軽口をたたいてもよい相手ではないと思わせる。
これなら騙されるかも。興之助は興味深く観察する。彼の前では妖ノ宮はこんな顔はしたことがない。
「どうぞ」
「結構なお手前で。んじゃ、いただきまーす」
既に妖ノ宮は興味を失ったように用意していた練り切りに手をだしていた。
「んー、いいお味で」
誉めても視線を向けもしない。それがなにかおもしろくなかった。
「姫様みたいなお嫁さんをもらえたら幸せだろうなー」
思わず、口が滑ったとしか思えない。興之助はごまかすように笑ってみた。
一瞬の間の後に茶杓が飛んできた。
「ちょっ、暴力反対。用意するの大変だったんだからな」
「そもそも、この道具どこから出したの?」
主に上の茶店から借りてきました。とは正直に言えない。
胸を張ってごまかすのが興之助の流儀だ。
「それは業務上の秘密ってもんだよ。謎多き男それが神流河の一番星!興之介サマなのさ」
次は無言で、饅頭が飛んできた。
「御苦労さま。苦しゅうない。それで、誰が誰を嫁にもらいたいって言うのかしら?」
「ごめんなさい。俺が悪かった。調子乗りました」
謝り倒す興之助に妖ノ宮はあきれたような顔でため息をつく。
「わかりました」
ってなにが?
その後、妖ノ宮は問いただされても頑として答えを言わなかった。