姫君のお出かけ<昔のこと>

 町の活気は雨が降ったところで消えたりはしないようだった。人の群れに妖ノ宮は目を丸くして立ち止まった。興之助は気づかず数歩進み隣の気配の喪失に振り返る。
 興味深そうにあたりを見回している様は、世慣れない娘としか見えない。恐ろしい半妖の姫と噂されるものとは全く異なる。
 常にまとう赤い衣装と似た赤の着物はやはり彼女に似合っていた。黙って立っているだけで振り返る男も多い。しかし、まだ声をかけるようなやからがいないのは気後れするような美少女のように見えるせいだろう。
 興之助は彼女の元に戻り傘をさしかける。
「別に通るのは初めてじゃなないだろ?」
「お姫様として、通るなら道を避けてくれるものよ?」
 今度は妖ノ宮は澄ました顔で、興之助に並んで歩く。いつも歩いてます、と言いたげな表情のわりに視線が人や店を行ったりきたりしているのがわかる。
 くんっと匂いを嗅ぐような動きを見せたかと思うと妖ノ宮は、興之助の服の袖を引く。
「たべたい」
 そう言いひとつの店を指し示す。興之助が視線を向ければ店先で焼く団子の匂いが雨の中でもかすかに漂う。
 買い食いがご所望とは随分世慣れた姫君だ。
「はしたないとか、考えないの?」
「どうして? 早く、早く、焼きたてのみたらしが良いの」
「はいはい」
 興之助は焼きたてを三本買い一本を妖ノ宮に渡した。不満そうに見上げてくる表情で彼女の言いたいことがわかる。興之助は苦笑しながら、小さい声で約束する。
「それが終わったら渡すよ」
 一気に三本も食べる姿など見せたら、目立つことこの上ない。そうでなくてもご機嫌な笑顔が人の目を引いていることに気がついていない。
 興之助は小さくため息をついた。
 妖ノ宮は己がどういった風に他人に見られているかという意識が薄い。接する人間が少なすぎたということもあるだろうが、本人の性格もあるだろう。
 自分が可愛い女の子、という認識はないだろう。政治的な利用価値、半妖であること、そういった自分は理解していてもそれ以外の部分が欠けている。
 誰か可愛いとか言った男がいるのかね。
 興之助は伽藍を思い浮かべたが、照れて絶対に言わないだろう。言うとしたら佐和人くらいだろうか。それにしても、言いすぎて社交麗辞として受け流してしまいそうだ。
 近くの女官も妖や人であってもそれほど親しくもなさそうだ。
「つぎ、ちょうだい?」
 その言葉に興之助は物思いから我に返った。不思議そうな顔で見上げる少女はまだあどけなく、可愛らしい。無言でもう一本渡すと興之助に興味を失ったように団子をほおばる。
 その横顔をちらっと見下ろす。
「なんだか、姫様からはいい香りがするな」
「……食べたいの?」
「そういう意味じゃねぇって、俺のあげた湯ノ花使ってる? 役得だな。そー怖い目で睨むなよ。覗きません」
「堂々と侵入するとかそういう意味ではないわよね」
「みたらし団子のタレ、落ちそう」
 慌てて残りを頬張る妖ノ宮にころあいを見計らって最後の団子を差し出す。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 しばしの沈黙を傘に落ちる雨音が埋める。興之助は、あたりを見回した。おそらくいるであろう男の姿を探す。人ごみにまぎれやすいその姿を視界のはしに認めると彼は小さく笑った。結局、張り合ってしまうものなのだろうか。
「なにか面白いものでもあったの?」
「いいや。なんでもねーよ。
 でもなんだな。こうやって、誰かと肩を寄せ合って歩くなんて俺の人生いままであったかなー」
 養い親の大きな手で、頭をなでてもらったことはあった。しかし、隣り合って歩いたことは無かった気がする。背中を追いかけるので精一杯だった。
 妖ノ宮は首をかしげた。
 彼女になんでもないと言いかけて、興之助は笑った。

「なんだか、暖かいね。こういうのもいいな」
 そういう男の声はどこか、他人事のようだった。
「さみしいの?」
 虚をつかれたように目を見開いて、再び彼は笑った。
「なあ、姫様、雨のついでに俺の昔話をきいてくれるか?」
「きいてあげる」
 その言葉が出たのは反射的だった。そんな妖ノ宮の頭をなでてから、興之助は淡々と己の過去を語る。
 赤ん坊のころに、家族を失ったこと。村が山賊に襲われる、そんなものも珍しくなかった時代と彼は言うが、妖ノ宮は眉を寄せた。
 興之助の年がいくつかわからないが、彼女の父が健在であったころは妖との争いのほうが多かったのではないだろうか。
 彼女の違和感を覚えた表情に興之助は気がつかず、淡々と続けた。
 家族の顔は覚えておらず、代わりにそのときの怒号と悲鳴を覚えていること。
 神流河の兵に拾われたこと。
 ああ、泣きそうだなと、妖ノ宮は見上げ思った。
「だから、俺は神流河を裏切れない」
 国への忠誠。
 人への忠誠ではない。
 そのことに彼女は痛みを覚えた。国に害するとなれば、この人は、私と敵になるかもしれない。
 妖ノ宮は興之助の袖を引いた。
「どこまで行くの?」
 興之助はふと彼女の存在を思い出したように下へ視線を向けた。
「あーあ、雨はいやだなしめっぽくなっちまう」
 そう顔をしかめる様子は、いつもと同じようで妖ノ宮は顔を背けた。
「そろそろ、帰りましょう。町のはずれのほうになると姫様にみせられないようなものがあるし。雨も強くなってきた」
 確かに最初よりは強い雨だ。足元も悪くなってきて、歩きにくい。人出は少なくなりつつあり、これ以上の散策に意味があるとは思えない。
 妖ノ宮は同意を示すように興之助の裾を引っ張った。
「そういや、今日の雨は、歴史的な大雨になるんだったな」
 雨音に聞き取りづらい声が、妖ノ宮の耳にようやく届く。この近さでも聞き取りにくくなるほどの雨音はそろそろ避難が必要と思えた。
「ん、歴史的な大雨だって?」
 慌てたように興之助は番傘を放り投げ、妖ノ宮の手を取り走り出した。
「今日は大洪水の日だった!」
 妖ノ宮は必死についていくが、背後からすごい音がひびいてくるのも聞こえた。火に相性の良い妖ノ宮は逆に水は苦手としていた。
 ずぶぬれも辛いが、水の中を想像すると血の気が引く。
「未来予知してたんだったら、早く思い出してよ!」
 彼女がそうわめいたのも仕方のないことだった。興之助は背後に視線をむけると家と家の間の細い道に入る。
「あんま、都合よく使えた試しないんだよ。というわけで、ここに捕まってやりすごす」
 興之助は頼りなげな木に捕まり水の波が通り過ぎるのをやりすごすという。既に入れる家らしきものがないのだから仕方ない。
 妖ノ宮は興之助を睨みながら木にしがみつく。
「……降りられなくなった猫みたいだな」
「一人でおぼれれば?」
「いえいえいえ。そんなかわいいってことですよ」
 妖ノ宮が返答をする前にざっぱーんと波がすべてなぎたおしていった。

「……よく生きてるよね」
 ようやく膝程度まで水が減った。第一波がひどかったがその後水はたいしたことがなく、漂流物が問題だった。ただ、こちらに流れる前にだいぶ処理されている。
 屋根の上まで水を被るほどでもなかったので、妖ノ宮の護衛がなんとかしたのだろう。
「姫様はまだまだ生きますよ」
「それは未来予知?」
「俺の希望的観測」
 興之助は曖昧に笑う。
「さて、ずぶぬれでも帰らなければいけませんね。着替えなどしている余裕もないでしょうし」
「はぁい」
 妖ノ宮は大人しく興之助の後をついて歩いていこうとするが、水を吸った着物が重いのか思うように進まない。
 興之助が振り返ったときには随分と距離が開いていた。
「姫様。助けて欲しいときにはちゃんと呼んでください」
「はぁい」
 しょげた様子で返事をする妖ノ宮はなんだか新鮮だった。幼くも見えるそれが可愛らしく見えて思わず頭をなでたくなる。
 興之助は苦笑しながらその手をとった。
「ゆっくり行くけど、辛かったら早めにいうこと」
「わかってます」
 さっきは緊急だったので承諾なく握った手だが、改めて握ると柔らかい手だった。しかし人差し指の付け根あたりが少々硬い。筆を取ることが多い証拠だろうか。味方になってくれるように手紙を送ることはよくあることだ。
 活動的に思えるが、あまり森の外に出ていない。そのわりに情報を知っているということは、各地に情報元があってもおかしくない。
 もしくは、情報元そのものがそばにいるか。
「手を引いてもらったのは、佐和人以来だわ」
「……姫様、それは佐和人には言っちゃダメだぞ」
 佐和人とは姫様命といっても過言ではない男の名だ。故あって別陣営にいるが、妖ノ宮になにかあれば全部捨てて助けにきそうなほど、といっても過言ではない。
 あからさまに恋情とわかるが、妖ノ宮に通じているかは謎だ。幼馴染とは思っているようだが、相手が思うような異性として認識しているかは否だろう。
 だが、こんな現場押さえられてしまえば、理性をぶっちぎって興之助に切りかかるくらいやってのけそうだ。
 妖ノ宮はぱちぱちと瞬きをして、腑に落ちない顔のまま頷いた。
 そして、ぽつりと呟いた。
「たぶん、今日は、伽藍が怖いと思うのよ」

 仲良くずぶぬれになった興之助と妖ノ宮は、伽藍のお説教をたっぷりうけることになったのは言うまでもない。

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