代償と約束

 衣擦れの音が近づいてくる。興之助は、どんな顔で迎えるべきか考えていた。
 急な来訪を訝しがられはしたが、それ以上ではない。おそらく、一連のことは誰にも言っていないとは思っていたが、多少は緊張した。
 伽藍と顔をあわせたが、いつもの通りだった。考えも秘密も隠しとおせるような性質ではないから、何か知っていれば門前払い程度はするだろう。だから、知らないと考えていい。
 それとなく最近の妖ノ宮の動向を聞いてみたが、案の定少し前の潜入者のことを語る。
 風呂を覗かれて妖ノ宮が小さな狼が怒ったようで手に負えなかった。そう伽藍はぼやいていたが、実際心配していたのは潜入者のほうだった。
 半妖で怒りで制御がきいていなかったとすると生存が危うい。
 そこで自業自得といわないところが、人の良いところだろうか。興之助はあまり深くは聞かず世間話に終始した。
 それからまもなく妖ノ宮を呼びに行くと言って立ち去り、放置されていた。
「久しぶりね。怪我は大丈夫?」
 妖ノ宮はいつものように笑った。興之助は表面上は何とか笑みを作った。
「お心遣いのおかげでなんとか」
「それで、それがお礼?」
 妖ノ宮は優雅な所作で座り、用意されたおまんじゅうの山を見る。そこには怒りの欠片も見出せない。それが妙に怖い。
「それだけで、済ましてくれるのかい?」
 興之助は殊勝な顔で返答を待った。時間が怒りを解決させてくれたと思いたいが、それを期待するほど甘い相手ではないことも知っている。
「そうね、変わったことがしたいわ」
 何か企むような笑顔で妖ノ宮は答えた。
 箱入りの姫君がしたことのないこと。
 古今東西、物語に出てこないことはない、それ。
「なぁ、外、出てみない?」
 あたり。
 そう言いたげに頷く妖ノ宮に興之助は頭が痛くなってきた。
 軽く言ってくださいますが、そもそも、お忍びということは衣装や色んな根回しなど必要でして、そう簡単に出られると思うなといいたいわけです。
 ため息をついて考えを纏める。
 実行のほうで。
「俺たちいつもこの部屋で会ってるし、飽きたし。外でようか」
 という言い訳。
「行きたい!」
 という了承。
「じゃあ、行く準備をしておこう。行きたくなったらまた呼んでくれ」
 興之助は憂鬱そうに締めくくった。
 ああ、まためんどくさいことを。予定よりさらに面倒なことになっていて、これ以上、面倒なことを抱え込んで、目的は達成できるのだろうか。
「たのしみにしてるね」
 明るい妖ノ宮の声が、胸に痛い。
「ところで姫。国境になにしにいったの?」
「鳩羽将軍に紹介して欲しい人がいて。数寄若、だったかしら。興之助が他の人紹介してくれないから」
 ふてくされたような声で責める口調は子供っぽくて妖ノ宮がまだ幼いと思わせる。ただ、内容は仕方の無いことだった。
 若四獅は事実上解体されているし、数寄若は一番遠くに行っている。そう簡単に呼べもしない。そもそも会いたいなどときいたこともない。
「……俺が悪いの?」
「どうかしらね。あと狐の人で全員の面識を得るんだけど、紹介してくれない?」
「俺が呼んでもこないだろうし、妖嫌いだからなおさらここまで来ないだろ」
「紅月に行かなきゃいけないかしら」
「そんな嫌なのかい?」
「すぐ焼いちゃうとか言うような人と仲良く出来ません!」
 興之助もこれには苦笑した。紅月の最高権力者たる夢路と仲良くするには妖ノ宮の血統はよろしくない。なにせ紅月自体が妖と敵対している。
 伽藍とも仲良くとはいかず、半妖の妖ノ宮ですら危うい。
「まあ、会わなくても困んないんじゃないか? 俺が有能だし」
「そうね。あら、おいし」
 ささやかな実力の主張にあまり気乗りのしない返答でいなされ、興之助はほんの少し傷ついた。
 妖ノ宮はおまんじゅうをほおばり全く気にもしていなかった。
 それがとても幸せそうだから、興之助は部屋の外へ視線を向けた。
「そんなに気に入ったら店に連れてってやるよ」
「うん」
 その、うん、はひどく嬉しそうで。
 なんだか、泣きたくなる。
 小さな約束。

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