代償と約束

「どうしたんだい?」
 興之助はいい加減そう聞かれるのに飽き飽きしていた。
 腕に目立つ包帯をしていれば誰でも聞きたくはなるとは思うが、本当に飽き飽きしていた。
「大鍋をひっくり返して火傷してね」
 軽く答えると頼んだ大量のおまんじゅうを受け取り、さっさと店先から離れる。
 しかし、あちこちで同じような質問を受けることになる。しばらく姿をみせていなかったことを心配されてのことだろう。そう思うと彼は少し複雑そうな表情で同じように答えるしかない。
 完全に直してから余裕の態度で現れたかったが、気になることがあった。
 それは、昨日のことだった。

「大人しくしていましたか?」
 いつの間にか聞きなれた声に興之助は顔をしかめた。入り口へ視線を向ければ中年の男が立っていた。
 見舞いと称して妖ノ宮が寄こした医者。貧乏長屋に住んでいる興之助には今まで縁のなかった人種である。どことなく育ちの良さそうなところがあるが、すべて平等の精神のようで興之助にも生活改善を厳しく提案してくる。
「酒もタバコもやってねぇよ」
 少なくとも昨日一日は。まあ、いいでしょう、といいたげな表情をしたところによるとこちらの考えはバレているのかもしれない。
 穏やかな物腰とは裏腹にやや乱暴に興之助の包帯を剥ぎ取る。
 とっさに両手で庇ったせいか腕以外はそれほどひどくなく、痕はあまり残らないでしょうと医者は最初から言っていた。
「あとは塗り薬くらいで大丈夫でしょう」
 医者はそういいながら新しく薬を塗り包帯を巻く。
「そういえば、最近の姫様は?」
「先日、国境まで行かれたと聞きましたよ。鳩羽将軍とお会いになられたとか」
「そりゃ随分思い切った行動をしたもんだ」
「そうそう、お手紙を預かっています。これで私はお役ごめんです」
 医者はそういってから大量の包帯と塗り薬を置いていった。
 妖ノ宮の手紙を添えて。
 中身は一行。
 おまんじゅうがたべたいの。
 興之助はあの姫君が全くわからない。それで許してやらぁという意思なのか、詫びに来いということなのか。
 あの医者は最後に気になることを言っていた。若四獅のひとりがよく呼ばれているようだと。
「なにしたいんだか、あの人は」
 直に問えば、答えてくれるのだろうか。

「妖ノ宮」
 伽藍の声に縁側でお茶をすすっていた妖ノ宮は振り返った。本日のおやつはおせんべいで香ばしい匂いがあたりには漂う。伽藍はそれに目を止めると器用にせんべいをつまむとそのまま口に放り込む。
 ばりばりと噛んでいる間はなにか言うこともできない。急用でもないのだろう。
 妖ノ宮は自分もせんべいを齧った。ただし、小さく割って。
 しばし、ぱりぱりとせんべいが砕ける音だけが響く。平和、この上なし。
「興之助殿を呼ばれたか?」
 一枚目を片付けた伽藍がそう切り出した。
「漠然と用事は頼みました。日付は指定していなかったのですが、すぐに来てくださいましたね」
「用事とは?」
 他のものなら詰問と取られる言葉も伽藍の口から出れば、ただの好奇心と知れる。
 だから、妖ノ宮は素直に答えることにした。
「おまんじゅう、食べたかったんです」
「用意したものでは足りなかっただろうか」
 露骨に申し訳なさそうな顔をするので妖ノ宮は慌てる。
「十分いただいております。ただ、たまには変わったものを手にしたくなることもあります」
 それで納得したように頷くと伽藍は立ち去った。
 常に外に出る、人を呼ぶときは伽藍に言っている。妖ノ宮から連絡なく興之助が現れたので、約束があるのか確認しにきたのだろう。
 案外、マメなところがある。その人の良さが、好ましく、時に疎ましい。
「あの方は、国を取るつもりがあるのでしょうか」
「そういう意識はないでしょう」
 屋根裏からの応えに妖ノ宮は顔をしかめた。だいぶ長い付き合いとなっているお庭番は、時々妖ノ宮のところに現れては情報を呟いていく。
 しかし、今回に限っては妖ノ宮が呼びつけていた。
 図らずも伽藍に邪魔をされたかたちとなる。
「豪徳屋の件は後日聞きます。ところで、おせんべい、食べる?」
 くつくつ笑う声が聞こる。
「ありがたく頂戴いたします」
 妖ノ宮は立ち上がり、その場を去った。背後でかすかにがさがさとせんべいが鳴る音を聞いて笑いながら。一体どんな顔をして食べるのかいつか見てみたいと思いながら。

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