殺る気満々でしたが、なにか?

「呼ぶ前にきたわね」
 妖ノ宮は上目遣いに興之助を見上げた。空き部屋に連れ込むつもりはなったが、背に腹は代えられない。
 外の騒がしさに女官と桂が確認しに行った直後、庭先に居たのは興之助だった。
 とっさに腕をつかみ有無を言わさず部屋へ連れ込んだのは良い判断だったのか困る。障子を後ろ手に閉めて、今更無関係だったのかもしれないと思った。
「言ったろ、すぐ駆けつけるからって。俺は神流河の一番星だからな」
「呼んでないわよ」
 思っていたより、大きい。ほんのわずか手を伸ばせば届くほどの近さに立ったのは初めてではないだろうか。
「そこはなんていうの? 姫様もお召しの予感があって。
 ま、さすがに寝所までは潜り込めなかったがな。姫様の寝姿を見られなくて残念だぜ」
 潜入者確定。部屋の外がうるさいのもこの男が悪い。
「なに言ってんのよ、スケベ!」
 大声で怒鳴らなかったのは、残っていた理性のおかげだ。こんなところを見つかってしまえば、私が連れ込んだみたいに思われるだろう。
 間違いなく評判に関わる。
 伽藍が、年頃の娘なのだからと説教してくるだけでは到底すまない。妖ノ宮は関わったことに深くため息をついた。
「おや、まるで十五の小娘みたいな反応じゃないか」
 そんな妖ノ宮の気持ちを少しも気がついていないような反応が返ってくる。
 驚いたように言われるとなんだか腹が立って仕方がない。
「十五の小娘だったな。そーいや。失敬。ところで姫様。痛い」
「それで、今日は何をしにきたの?」
 ぐりぐりと興之助の足を踏みつけながら妖ノ宮は訊ねる。食べ物の匂いがしないから期待はしていないが。
「今日は面白いものが手に入ったんでな。好きそうだと思って、もってきたんだ」
 興之助が懐から取り出したのは可愛らしい小袋だった。
「湯ノ花だ。湯につかるときでもつかってみてくれ」
 湯ノ花というものが温泉というものから取れるらしいことは妖ノ宮も知っていた。ただ、温泉というものを見たことはないのだけど。
 噂によれば気持ちよくて効果覿面、万病に効く、そうな。
「ありがとう」
 妖ノ宮は素直に礼を言う。
「湯に入れると肌がすべすべするらしいぞー。すべすべ」
 興之助が楽しげにそういう。それが彼に利益をもたらすことはないはずなので、なんだか妙に怪しい。
 もしかして、後で触るつもりでもしているのだろうか。妖ノ宮がじっと見上げれば視線をそらされる。
「……スケベ」
「どこをどうするとそうなる? 姫様が美しくなることだけを願ってるんだぜ」
「私が、誰か呼ぶ前にかえりなさい」
 微笑んで妖ノ宮は障子に手をかけた。

 その後、賊は捕まらなかったので注意するようと伽藍に言われて、興之助が無事逃げたことを妖ノ宮は知った。
 しかしそれは、妖ノ宮にわずかな疑念を持たせた。
 武人のようには、見えない。だからといって文官かといえばそうでもない。ただ、なんとなく荒事には向いてないように思っていた。
 舌先三寸で面倒ごとを回避してやりすごして侵入したといわれれば、納得したかもしれない。
 警備の目をくぐってここまで来た、そのことが不審だ。
 ならばと、伽藍にここの警備はザルですか? と問えば、しょげたようにシッポを落としたのが可哀想すぎた。
 その有様に本日の警備担当の馬面な妖があれこれ必死に説明してくれたのが印象的だった。伽藍は愛されてるなぁと妖ノ宮は微笑ましく思う。
 そんな場合ではないと知っているのだけど。
 誰も、興之助を見たと妖ノ宮に訊ねるものがいなかった。そこまでばれるようには侵入していないということだ。
 妖ノ宮は渡された湯ノ花に目を落とす。
「見た目どおりではないのでしょうね」
「姫様?」
「お湯の用意はまだ?」
 控えていた桂に別のことを問う。
「先ほど整いました。いつでもお越しくださいとのことです」
「ありがとう」
 妖ノ宮は湯殿へ足を運んだ。
 湯に湯ノ花を溶いてみる。
 温泉独自の香りが漂い、気持ちよさげだった。
 桂に手伝ってもらい、単衣姿になると人払いを頼む。無防備な姿となるのに人の気配がするのは安心できない。
 だが、入ろうとしたそのとき湯屋の隅に不穏な気配を感じる。桂が言いつけを守らないとは到底思えない。
 妖ノ宮は無言で手桶に水をくむとそちらを見ずにその方向へ投げつけた。
「うわっぷ!バレちまったかー」
「……は?」
 聞き覚えのある声に信じられない思いで仕切り戸を開ける。
「残念。そのまましばらく気がつかないでいてくれたら、目の保養ができたのに」
 逃げたはずの興之助がそこにいた。
「あーなに。湯ノ花に間違いがなかったか責任を持って確かめにきただけだ」
 黙ってわなわなと震えている様子をどう勘違いしたか言い募る興之助に妖ノ宮の理性の限界がきた。
「……黙って」
 妖ノ宮の感情に反応したかのように周りの水がふつふつとあわ立ち、蒸し風呂のような蒸気をあげる。
「死ねい!」

 後に殺る気満々でしたが、なにか? と微笑んだという。

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