はらぺこ姫と一番星

「妖ノ宮」
 廊下からぼんやり外を眺めていた妖ノ宮に伽藍が声をかけたのは夕刻だった。
「なんでしょう」
 今日もすばらしくモフモフだ。彼女は真面目な顔をしつつそんなことを考えていた。
 伽藍は大きい狼のような妖だった。初対面では怖いかもしれないが、中身は穏やかでちょっと夢見がち。ぎゅっと抱きつくとふかふかで気持ちいいのだが、伽藍が激しく動揺するので自重する。
「ヌシに会いたいという者がいるのだが」
 妖ノ宮は首をかしげる。半妖である自分に会いたがる人がいるのだろうか。しかも、こんな山奥まで来て。
「若四獅のひとり興之助がヌシの兄君からの預かりものを届けたいという、らしい。興之助の名前は覚えているな?」
 彼女は頷くが、やはり首をかしげる。若四獅のことを聞いたのはほんの数日前のことだ。兄に仕えていた先見が出来る人である、くらいしか記憶にない。今頃、なにを渡しにくるのだろうか。
「ならばこちらに呼んでも構いませんか?」
 興味もあったし、おいしいものだったら嬉しいし。
 妖ノ宮は深く考えるのは放棄して会うことにした。
「兄君からの贈り物であろうからな。いつでも呼ぶがよい」
 少し同情するように伽藍は返答したが、彼女の考えていたことといえば。
 おなかすいたなぁ。今日のご飯なんだろう。
 であった。

 手ごわいから気をつけなさい。といわれた理由がわかったような気がする。
 興之助を呼んだことになっている妖ノ宮は可愛らしい姫君だった。
 よく手入れされた黒髪はつややかで、幼さの残った顔を縁取る。全く日にあたったことのないような白い肌は箱入りという噂どおりの生活を送っていたことの裏づけに思える。興之介を見上げて黒目がちな瞳でぱちぱちと瞬き。やけに赤い唇をひらいて。
「なにを返してくれるの?」
 おいしいものだといいなぁ。とのたまった。
 おかげで興之介は笑いそうになるのをこらえながら名乗る羽目になった。
「おっと、その前に自己紹介くらいさせてくれ」
 この俺が神流河の一番星!興之介サマだ。と続けたのを聞いていないのか、妖ノ宮は目の前の饅頭をぱくりと食べた。
「兄君からお預かりしていたのはこの鼈甲のかんざし。こちらをお返しいたします」
 そのあたりで完全に興味を失ったのか、彼女は渋そうなお茶をすすってほぉっと息をつく。
「強そうな武器ね」
「暗殺者にでも襲われたときに使うといいさ」
 かんざしをまじまじとみたあとにそう言うと手を差し出す。興之介が傷ひとつない柔らかな手のひらにのせると小さく笑った。恐ろしいほど無防備に見えてどきりとする。彼は無邪気な可愛い姫君と佐和人が言っていたなぁと思い出した。
「ありがとう。忙しくなければ、お茶でも飲んでいって」
 お饅頭、おいしいわよ? 妖ノ宮はかんざしを手元でもてあそびながら誘う。ただの社交辞令なのか、本気なのか興之介には判断がつかない。
 なにせ箱入りで、滅多に人にあわないような姫君だったのだから。
 ほんの少し前に父親である覇乱王と兄を失ったせいで表に出てきたといっても過言ではない。現在は、妖である伽藍を後ろ盾に権力争いの真っ只中だ。ただし、この様子では本人はそれほど乗り気のようには見えない。
 様子見、といきますか。
「おっ、これは喜んで」
 興之介は妖ノ宮の前に座り、女官が入れたお茶を饅頭をつまんだ。
「しかし、おやつにしては量が多いような気がするんだが、一人でたべるのか?」
「うん。おなかすくのだもの。とっても!」
 伽藍殿はごはんあげてないのだろうか。それとも姫がいっぱい食べるのだろうか。ほっそりとした外見からは想像がつかない速さで、饅頭は消えていく。
 興之助が二つ目に手を伸ばす前に最後の一つ。
 たわいのない会話をしつつ、この速さ。
 同室内の女官が動揺した様子もないことからこれは日常なのだろう。興之助は少しばかり食欲が失せたが。
「それじゃ、そろそろ失礼するぜ。気が向いたら呼んでくれ」
 天気の話もそろそろ飽きたかとそう切り出したときには、妖ノ宮は満足そうな顔をしていた。寝る直前の猫のように目を細めて小さくあくびをする。年より幼く見える仕草は普通の少女のように見えた。
「また、きてね」
「おう」
 そのときにはもう興之助の警戒心は根こそぎ奪われていた。
 手ごわいという意味を思い出すのは、もう少し先のことだった。

次へ

趣味部屋へサイトトップへ